【柱谷哲二就任】ギラヴァンツ北九州はどんなチーム?実績は?選手は?

 

ギラヴァンツ北九州の記事監督に柱谷哲二さんの就任が決定しました。

柱谷哲二監督はどのような経歴の監督で、ギラヴァンツ北九州はどのようなチームなのかをご紹介します。

柱谷哲二監督の経歴

柱谷監督は京都府出身で、現役時代は ヴェルディ川崎、そして日本代表のセンターバック及びキャプテンとして活躍した選手でした。

日本代表時代の柱谷監督といえば、当時の日本代表のメンバーはキングカズこと三浦知良、ラモス瑠偉、武田修宏など個性的な選手が多い中で強烈なリーダーシップを発揮する熱血漢の選手でした。

柱谷哲二監督は、選手として油に乗っていた当時はJリーグが発足した時期と景気が良かった時代ということもあり、 Jリーグのトップ選手の年俸は一気に跳ね上がり、1億円を超える選手が何人もいました。

ただその後景気が悪くなり、 チーム名を考えると高額年俸の選手は戦力外となることが増え、柱谷哲二監督も1998年のシーズン終了後には戦力外通告を受けることになります。

そして、現役引退となりました。

現役引退後はサッカー解説や国士舘大学サッカー部コーチを行ったのち、2002年にはコンサドーレ札幌の監督に就任しました。

しかし、コンサドーレ札幌の監督に就任したものの成績低迷(13戦2勝)の責任をとって 6月にははやばやと解任されることになります。

その後は、水戸ホーリーホック監督(2011年-2015年)、ガイナーレ鳥取監督(2016年)、ヴァンラーレ八戸監督(2017年)を歴任しています。

そして、2018年6月20日、ギラヴァンツ北九州の監督就任が発表されました。

監督としての実力

簡単に柱谷哲二監督経歴をご紹介しましたが、色々なチームで監督になっているものの、比較的短期間で解任や退院されていることが多いことがわかります。

必ずしもながく監督を続ける必要はないのですが、成績不振で解任やJ 2から J 3への降格などで監督を退くことが多いようなので監督としての実力には疑問が残ります。

 

ギラヴァンツ北九州の歴史(簡略)

柱谷哲二さんが監督として就任した「ギラヴァンツ北九州」について簡単に説明してみます。

「ギラヴァンツ北九州」は福岡県北九州に市本拠地があります。

創設自体は1947年と古く、歴史あるチームだと言えます。

元々は三菱系の企業である三菱化成黒崎サッカー部から歴史をスタートしています。

ちなみにチーム名であるギラヴァンツとは「ひまわり」のことを指しています。

チーム名がギラヴァンツ北九州となったのは2010年からとなります。

当時の監督は与那城ジョージ監督でした。

 

2013年からは柱谷哲二監督の実の兄である柱谷幸一さんが監督を務め、 2016年まで4期監督を務めています。

2018年は森下仁之さんが監督に就任しましたが、成績不振を理由に解任となり、今回の柱谷哲二さんが監督としてしゅんにすることになりました。

ギラヴァンツ北九州の実績

【J2】

  • 2010年 1勝23敗12分(19位)
  • 2011年 16勝12敗10分(8位)
  • 2012年 19勝16敗7分(9位)
  • 2013年 13勝19敗10分(16位)
  • 2014年 18勝13敗11分(5位)
  • 2015年 18勝19敗5分(7位)
  • 2016年 8勝20敗14分(22位)

【J3】

2017年 13勝12敗7分(9位)
J2からJ3に降格して9位は苦しい状況ですね。

 

所属選手

【GK】

山岸範宏(1)
髙橋拓也(21)
中山開帆(27)

【DF】

有薗真吾(2)
福森健太(3)
川上竜(4)
福田俊介(6)
浦田樹(13)
川島のぶゆき(24)
ペ・スヨン(28)
村松大輔(30)

【MF】

小野寺達也(5)
茂平(7)
安藤由翔(8)
井上翔太(10)
野口航(15)
加藤弘堅(17)
内藤洋平(18)
川島大地(19)
花井聖(20)
藤原奏哉(22)
紀藤隆翔(23)
小谷健吾(29)
本山雅志(43)

【FW】

ダブィ(9)
池元友樹(11)
平井将生(14)
佐籐颯汰(16)
前田央樹(25)
チョン・ウォンジェ(26)
フェホ(31)

()内は背番号

まとめ

ギラヴァンツ北九州というチームがJ3のチームということもあり、私自身は知らない選手が多いと感じました。

ただ、背番号43の本山雅志は鹿島アントラーズで10番を付けていた選手だというのはすぐに分かりました。

新しい監督のもとで頑張って欲しいものです。