紺野美沙子 結婚前後(若い頃と現在)でテレビ仕事に変化!朗読塾と親善大使とは

女優の紺野美沙子さんも今年で60歳お迎えられます。

 

若い頃は女優として数々のドラマや映画に出演されていました。

 

しかし、32歳で結婚されたあとは、女優としての仕事にとどまらず、自ら朗読熟を立ち上げたり、親善大使として精力的に活動されています。

 

紺野美沙子さんの旦那さんは元 TBS局員の篠田伸二さんです。

 

女優とテレビ局局員がどのようにして結婚に至ったのか気になるところです。

 

また、紺野美沙子と篠田伸二さんの間にはお一人子供(長男)がおり、どのように育っているのか紺野美沙子に興味がある方には気になるところです。

 

この記事では、紺野美沙子さんについて、基本的なプロフィールを確認したあと、結婚前の若い頃の仕事と結婚後の仕事の範囲拡大についてお伝えするとともに、若い頃の画像もご紹介します。

 

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紺野美沙子 プロフィール

 

まず、簡単に紺野美沙子さんのプロフィールをまとめたのが下記です。

 

本名 篠田美沙子(しのだみさこ)
生年月日 1960年9月8日
出身地 東京都
出身校 小学校:カリタス小学校

中学校:カリタス中学校

高校 :慶應女子高校

大学 :慶應義塾大学文学部国文科

所属事務所 個人事務所
身長 167cm

 

紺野美沙子さんは篠田伸二さんと結婚されていますので、戸籍上の本名は篠田美沙子となります。

 

紺野美沙子がき旧姓なのかというと、実は違うのです。

 

紺野美沙子さんの旧姓は「佐藤美沙子」であり、更にいうと、紺野美沙子としてか活動する前は「佐藤美佐子」として活動されていました。

 

具体的には、ゲストとしてですが「宇宙鉄人キョーダイン」に出演、また「未来からの挑戦」にも出演されています。

 

そして、女優として有名になる前の大きな転機は「ユニチカ水着キャンペンガール」に選ばれたことでしょう。

かわいいですね。

とはいっても、やはり多くの方が知っているのは朝ドラ「虹を渡る」のヒロインになってからでしょう。


出典:http://www.hyogonet.com/drama/asadora.html

 

紺野美沙子さんといえば若い頃から「頭の良い女性」というイメージがあります。

 

それもそのはず、紺野美沙子さんは小中学校ミッション系の学校である「カリタス学園」出身で、ここからは「慶應」に進まれています。

 

そして、紺野美沙子といえば長身。お嬢さんのイメージがありますね。

 

紺野美沙子さんは1960年9月8日に三人姉妹の次女として生まれてきます。

 

女優として活動することになるこのみさこさんですが、そのきっかけとなったのか分かりませんが小学校5年生の時には演劇クラブに所属していました。

 

そして、現在の紺野美沙子さんのイメージとして思い浮かばないのですが、高校時代と大学1年生の時にはフィギュアスケートをやっていたとのことです。

 

紺野美沙子さんと運動のイメージがないのでちょっと驚きです。

 

若い頃の紺野美沙子

 

左下の画像なんて、永野芽郁ちゃんのようですね。

 

この画像もかなり貴重な画像ですね。郷ひろみさんも若い。

紺野美沙子 主な経歴

 

紺野美沙子さんの経歴を語る時、まず最初に思い浮かべるのは「女優」としての紺野美沙子さんでしょう。

 

紺野美沙子さんが世に知られることになったのは朝ドラへの出演です。

 

先ほどお伝えした朝ドラ「虹を渡る」(1980年)のヒロインですね。

 

現在もそうですが、 朝ドラのヒロインを務めた後は一気に人気が全国に広がり、幅広い作品に出演するとともに、一気に主役級の役が巡ってきます。

 

紺野美沙子さんも例外ではなく、1980年の朝ドラのヒロインを務めた後には同じ NHK の大河ドラマ「徳川家康」に出演されます。

 

その後は、テレビドラマを中心にたくさんの作品に出演しつつ、映画や舞台にも出演さてていました。

 

しかし、このあとお伝えする当時TBS局員だった篠田伸二さんと結婚したあと、特に40歳を迎えてからは仕事の軸足が変化していきます。

 

具体的には、後述する朗読塾を立ち上げたり、親善大使としての活動です。

 

次は、旦那さんである篠田伸二さんと結婚するまでの馴れ初めを確認してみましょう。

篠田伸二(元TBS局員)さんとの結婚までの馴れ初め

 

紺野美沙子さんの旦那様である篠田伸二さんは既にお伝えしたように結婚当時は TBS の曲員を務められていました。年齢的には紺野美沙子さんが旦那さんよりも一歳年上です。

 

篠田伸二さんはTBSで「ドラマ」「ドミュメンタリー」制作、更には広報のお仕事をされていましたので、ドラマの制作現場に出向くこともあったようです。

 

ドラマの制作現場でお二人は知り合い、交際、更には結婚へとつながっていったようです。

 

旦那さんである篠田伸二さんですが、TBS定年前に早期退職し現在は、TBS時代と同様に映画製作、舞台演出、そして広報をプロデュースする会社である「株式会社2s」を立ち上げられ代表を務められています。

 

紺野美沙子さんと篠田伸二さんとの間にはお子さんが一人おり、長男なので男の子のお子さんです。

 

紺野美沙子さんが長男を出産したのは1995年ですので、現在は25歳前後ということになります。

 

息子さんについてですが、幼稚園から高校まで「森村学園」、その後紺野美沙子さんと同じ慶應義塾大学に入学したという噂がありますが、真偽はわかりません。

結婚前後(若い頃と現在)でテレビ仕事に変化

 

紺野美沙子さんは特に20代は数々のドラマに出演している通り、女優としてのお仕事が仕事の主軸でした。

 

しかし、32歳で結婚して、お子さんが生まれてからは家庭中心となるなかで、40歳を境にテレビから舞台に主軸を移していきます

 

40歳以降、舞台出演が増えているのはこのような背景があったのですね。

テレビから朗読、更には親善大使として活動

 

紺野美沙子さんはドラマ、舞台にと女優としての活動を主に行ってきたのですが、50歳を迎えた2010年には新たなステージに進出します。

 

それが『朗読』です。

 

ただ、単に本を読む朗読ではなく、朗読に音楽や影絵、映像など幅広い舞台芸術を組み合わせたパフォーマンスに取り組んでいます。

 

具体的には『朗読座』の主宰です。

 

 

ここまで、紺野美沙子さんが女優と朗読で活動されてきたことをご紹介しましたが、実は、もう一つ大きな活動があるのです。

 

それが『親善大使』としての活動です。

 

驚くことに、今から22年前の1998年から「国連開発計画親善大使」として活動さているのです。

 

ただ、もともと学のある方なので、やっぱりという気もしないでもないですね。

母、実父、養父との関係

 

紺野美沙子さんですが、実は小さい(小学校2年生)ときに両親が離婚しており、離婚の2年後お母様が再婚したことで新しい父親(養父)が出来ます。

 

だから、お母様はひとりですが、お父様は2名いることになります。

 

しかし、現在ご存命なのは実父のみ。

 

お母様は87歳でお亡くなりになったそうです。

 

お母様の死については、本人の希望で「自宅で看取って欲しい」という願いを叶えたとのこと。

 

ただ、今となっては小学校2年なので7歳のときに離れ離れになった実父のみがご存命ということで心の拠り所になっているそうです。

 

今でこそ、実のお父様と交流があるそうですが、普通に親子の会話ができるようになったのは、紺野美沙子さんが40代に入ってからとのことです。

 

それも、テレビの仕事から舞台の仕事に仕事の主軸を移したことがきっかけというのですから人生わからないものですね。

最後に

 

紺野美沙子さんについてお伝えしました。

 

テレビで観ている紺野美沙子さんでしたが、20歳から60歳までいろいろな転機があり、その時との時に応じて、うまく対応していると感じました。

 

これからも他ジャンルで頑張って頂きたいですね。