黒柳徹子さんの若い頃の姿がSNSで「可愛すぎる」「美人すぎる」と言われています。
黒柳徹子さんといえば、独特な髪型がシンボルのようになっていますが、他にも声や独特なキャラクターも個性絵的です。
黒柳徹子さんは1933年生まれなので、2020年の現在87歳になられています。
今回はそんな黒柳徹子さんの若い時(20代・30代・40代)の頃を調べて紹介していこうと思います。
黒柳徹子の若い頃がかわいくて美人?
早速、Twitterを参考に若い頃の黒柳徹子さんについてコメントされていることを抜粋して見てみようと思います。
黒柳徹子、若い頃めちゃくちゃかわいいな????!
— きざみん (@kizamin12) September 21, 2019
黒柳徹子 若い頃 で検索すると、めっちゃ美人‼️#モコ夜
— 成美成 (@nasubiinasu) October 6, 2020
(一部抜粋)
見てみると、「可愛い」「美人」などのコメントが多く目立っています。
では、ここで黒柳徹子さんの若い頃の画像を見てみようと思います。
やばい、仲田さんに
これ黒柳徹子の若い頃って見せたから!黒柳徹子に似てるね!って。
え、話聞いてた? pic.twitter.com/tGvZ2ibtmY
— ゆりゆり (@3shinsan4) March 13, 2015
正直、どうでしょうか?
私の個人的な意見としては・・・
普通ですかねぇ・・・
若い頃なので、可愛らしいと言っちゃあ可愛らしいかなぁとも思いますが・・・
そこまで騒ぎ立てるほどかなぁ・・とも思います。
でもこの画像(写真)は60年ほど前の黒柳徹子さんなので、当時にしてみれば綺麗な方だったのでしょうね。
(あくまでも私の個人的な意見です。)
たた、黒柳徹子さんの面影はありますね。
Twitterで「綺麗」と騒がれていたことに関してですが、こちらの画像を見てください。
黒柳徹子、若い頃美人すぎ😳💓 pic.twitter.com/bDRaOQHMTy
— 努力できる人間になりたいマン (@DSDBTqVQKTgFx1j) March 18, 2017
「可愛いっ!」「美人っ!」と思った方もいると思います。
こちらの画像が黒柳徹子さんとして勘違いされているコメントが多々見られました。
実は調べてみたところ、こちらの方は黒柳徹子さんではありませんでした。
こちらは「ひし美ゆり子」さんでした。
若い頃のひし美ゆり子めちゃくちゃ綺麗やな… pic.twitter.com/6OA8JtUpQp
— ムラタ・モレッツ (@michaelmurata05) May 23, 2020
「ウルトラセブン」や最近でしたらNHK連続テレビ小説「まれ」に出演されていた女優さんです。
何処でどう間違ったのかは不明ですが、黒柳徹子さんではありません。
20代の黒柳徹子の画像(写真)
ここでは20代の頃の黒柳徹子さんにスポットを当てて紹介したいと思います。
1953年、黒柳徹子さんはNHK放送劇団員として日本のテレビ女優第一号になります。
この画像はちょうどその頃の画像ですね。
東洋音楽学校(現在は東京音楽大学)卒業後、オペラ歌手になるのを夢見ていた黒柳徹子さんですが、その夢が絶たれます。
歌詞を覚えることが出来なかったそうです。
幼少の頃に発達障害だったといわれている黒柳徹子さんですが(自伝:まどぎわのトットちゃんで記されている)、その影響もあるのかもしれません。
黒柳徹子さんが次に持った夢は「自分の子供に人形劇や上手く絵本の読み聞かせのできるお母さんになること」でした。
そして入社先に選んだのはNHK放送劇団員だったのです。
「ここならば教えてくれるかもしれない」と思ったことが入社希望動機だったそうです。
1954年黒柳徹子さんが21歳の時、ラジオドラマ「ヤン坊ニン坊トン坊」出演を機に有名となり、20代後半ではテレビ・ラジオのレギュラーが10本以上と多忙を極めました。
この画像はそんな黒柳徹子さんがスタジオで休憩している時に撮られた画像です。
マイクに鼻をのせると頭が軽くなって疲れがとれるのだとか・・・
カラオケに行って疲れた際には、私も試してみようと思います。
このような状況で過労から1か月入院生活となった黒柳徹子さんは自分の出演していた番組を見て、代役が次々といる状況に「自分の代わりはいくらでもいる」ということに寂しさや虚しさを感じます。
この時の入院生活で医師に「死ぬまで病気をしない方法はありませんか?」と尋ねたそうです。
医師から帰ってきた答えは「自分が嫌な仕事はしない事。やりたいことだけやりなさい。」
これから約10年後、黒柳徹子さんは単身ニューヨークへ旅立ちます。
30代、40代のニューヨーク留学時代
ここでは黒柳徹子さんの30代・40代にスポットを当てて紹介します。
- 30代
- 40代
30代の黒柳徹子さん
20代のころ、そして30代に入って舞台俳優との間に演技力の差を感じた黒柳徹子さんは、仕事で知り合いとなった人物を頼り1971年に一年間の単身ニューヨークへの留学をします。
黒柳徹子さんが38歳の時ですから、なかなか大胆な行動をしますよね。
20代に入院した時の医師の言葉も後押ししたのでしょうね。
こちらがその頃の画像です。
USJの感想:ニューヨークエリアで黒柳徹子みたいな写真が撮りたくなった着物民は、きっと私だけではないはずだ。 pic.twitter.com/caurHEaRYH
— スズトキコエ (@suzu10kikoe) September 21, 2020
黒柳徹子さんはこの時に演劇だけでなくモダン・ダンスなども学んだと言っています。
着物を着てパーティーなどにも参加していたらしいです。
着物の画像など吹っ切れて弾けて「好きなことをしている感」「人生の充実感」が感じられますね。
徹子姐さん、その生き様カッコいいッス!!
この頃に当時アメリカで活躍されていた須賀勇介さん(ヘアメイクアーティスト)のアドバイスなどを受け、自身のトレードマークにもなる「タマネギヘア」を考え出すわけです。
1972年、黒柳徹子さん39歳のときテレビ番組「13時ショー」の司会が決まり帰国します。
40代の黒柳徹子さん
ここでは40代の黒柳徹子さんを紹介します。
40代に入ってからの黒柳徹子さんは皆さんご存じの「徹子の部屋」を始め、1978年「ザ・ベストテン」、1981年自身の著書「窓ぎわのトットちゃん」の出版などで大活躍されます。
朝の始まりは湊さん&真里奈さんから。
今日のパーソナリティは「ザ・ベストテン」における久米宏&黒柳徹子ポジションのお二人か。#FMあばしり#ハバグッドデイ pic.twitter.com/Pam3X0vUNY
— ジュンヤ (@junyafolk) February 6, 2020
隣にいるのは久米宏さん、「タマネギヘア」の名付け親となる人です。
この頃の黒柳徹子さんだったら記憶に残っている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この頃には「役を演じながらの司会は誤解や間違ったイメージを招くから」と女優業の方は控えています。
このような感じで今に至っているわけですね。
まとめ
黒柳徹子さんの若い頃について調べて紹介してみました。
20代から40代くらいまでをメインに紹介してきましたが、メイクなどの関係もあるのでしょうが20代の頃と40代の頃の画像ではイメージが違うと思います。
明らかに綺麗になっていっていますよね。
「好きな事だけ好奇心のままに生きていく」
そんな生き方が黒柳徹子さんを綺麗にさせていったのでしょうね。
黒柳徹子さんを少しだけ見習って、私達ももう少し肩の力を抜いて「好奇心のままに」生きてみるのも良いかもしれません。