河野景子さんといえば、大相撲貴乃花部屋の女将さんで貴乃花の元嫁というイメージを持たれている方が多いと思いますが、元フジアナウンサーです。
そして、現在のアナウンサーに大きな影響を与えているアナウンサーでもあります。
アナウンサーのタレント化の走りといっても過言ではありません。
河野景子さんはフジテレビで同期アナと三人娘として活動は他局の同期アナにも影響を与えました。
この記事では河野景子さんのアナウンサー時代、特に若い頃のタレント活動をしていた頃についてお伝えします。
河野景子のwiki風プロフィール
スペシャルトークショーで河野景子さんに「ダウンエイジングのセルフプロデュース」についてお話しいただきました✨ pic.twitter.com/FDdFLRFio6
— アンチエイジングフェア2019 in 横浜みなとみらい【公式】 (@aaf_in) June 14, 2019
まず最初に河野景子さんのプロフィールをwiki風に確認してみます。
名前 | 河野景子(こうのけいこ) |
生年月日 | 1964年11月12日 |
出身地 | 宮崎県宮崎市 |
出身校 |
|
職業 | タレント、フリーアナウンサー |
その他 | 一般社団法人日本漢字習熟度検定協会・名誉会長 |
河野景子さんは、宮崎県宮崎市出身で1964年11月12日生まれですので、2020年の誕生日には56歳になられます。
河野景子さんは、上智大学外国語学部フランス語学科を1988年3月に卒業後、フジテレビにアナウンサーとして就職します。
学生時代にはアメリカへ1年間留学経験があり、大学では上智大学のフランス語学科を卒業していることもあって、英語、フランス語も得意とのことです。
大学が語学に強い上智大学ということもあったので留学生も多いこと、河野景子さん自身も宮﨑から上京していることもあって大学の女子寮に入っていました。
この女子寮には留学生が多いという環境を活かして留学生と積極的に交流することで語学力が高まったようです。
河野景子さんは3ヶ国語が話せるようですが、語学を学んだのもアナウンサーになるためだったとのこと。
もともとアナウンサーになることを意識したのは小学5年生の頃のこと。
当時はフジテレビで「なるほど!ザ・ワールド」という番組が人気があり、フジテレビ以外でも海外の国を紹介する番組が多く、自分もアナウンサーになって海外で活躍したいと思ったことがきっかけだったようです。
そして、大学を卒業してアナウンサーとしての活動が始まります。
河野景子の同期アナウンサーは他局も含めてタレント揃い
おっちゃん達の二歳下のアイドル三人娘…フジテレビは昔、新宿区河田町とゆう所にあったのだ。
河野景子+八木亜希子+有賀さつきまではが、昭和63年入社…ふる雪や
昭和は
遠くになりにけり
ヘルベルト草田男 pic.twitter.com/TWdD1NCaN0— へるべると (@alma_1911) April 21, 2020
河野景子さんがフジテレビに入社したのは1988年です。
この頃はバブル景気真っ盛りの時期ですね。
この当時の女子アナウンサーは、現在のように華やかなものではありませんでした。
ニュースでもメインを務めることなんてことはなく、男性アナウンサーのサブの位置付けでした。
このことは元TBSの元アナウンサー吉川美代子さんが度々テレビで語っていますね。
また、この頃は今では当たり前に使う『女子アナ』という呼称もなかったのです。
この「女子アナ」の代名詞がフジテレビの女子アナであり、河野景子さん、八木亜希子さん、有賀さつきさんら同期アナだったのです。
この3人は「花の三人娘」とも呼ばれていました。
「花の三人娘」としての活動は規格外
引用元:https://www.sanspo.com/geino/photos/20180206/geo18020605040004-p1.html
「花の三人娘」という呼称は正式なものではありませんが、3人での活動はこれまでのアナウンサー像を大きく変化させるものでした。
入社間のない時期に雑誌の巻頭グラビアを巻頭グラビアを飾ったり、女子アナをフューチャーした番組が増えました。
引用元:https://joseiana.com/archives/9287
そして、バラエティ番組でも大活躍したのも他局にない特徴だったのではないでしょうか。
1988年以降のフジテレビは他局とはカラーの異なるアナウンサーを採用するようになります。
アナウンサーとしてのお仕事ではなく、アイドルやタレントとしての活動も増えていきます。
このような事があってフジテレビ出身のアナウンサーはフジテレビ退社後もフリーアナウンサーやタレントとして活躍している方が多くいますね。
他局の同期アナも含めてタレント化の流れが続く
フジテレビの新人アナウンサーの活躍を見て他局は黙って見ていられなくなります。
真っ先に追従しようとしたのが日本テレビです。
日本テレビには河野景子さんと同期で1988年入社の永井美奈子さんがいました。
永井美奈子さん
昭和63年12月7日
日本テレビ系 水曜グランドロマン#忠臣蔵 「この後すぐ!」忠臣蔵の季節ですよ、30年前のスペシャルドラマ、永井アナも可愛いな~ pic.twitter.com/paqAazEBjr
— 美女びじょJapan (@bijyobijyojapan) December 5, 2018
永井美奈子&馬場典子対談 日テレはなぜアナを育てられるかhttps://t.co/IsdWSIWpeo
馬場:サポートでスポーツ実況の男性アナの資料集めなどをする「サブアナウンサー」など下積み仕事も多いですよね。その分、足腰を鍛えられた気がします。#女子アナ #アナウンサー #永井美奈子 #馬場典子 pic.twitter.com/lmERbt0cwf— NEWSポストセブン (@news_postseven) July 8, 2020
永井美奈子さんは、成城大学出身でミス成城に選ばれるほどの美貌を持つアナウンサーで大人気アナウンサーでした。
入社4年目には日本テレビの後輩アナウンサーである米森麻美、薮本雅子と「DORA」というユニットを社命で結成し、歌手としてCDを発売したり、テレビ番組で歌ったりもしていました。
まさに「日本テレビ版三人娘」ですね。
この「三人娘」化の波はその後も続きます。
日本テレビでは後輩アナである鈴江奈々アナ、葉山エレーヌアナ、夏目三久アナで「go!go!ガールズ」が結成されえていますし、読売テレビでも日本テレビの「DORA」に対抗して「NORA」が結成されアナウンサーのタレント化が進みました。
日テレが55周年ということで「go!go!ガールズ」なる女子アナユニットが結成された。そしてテレ東は今年55周年なので何かやらないかなって以前ツイートしましたが、その答えは年の暮れに出たようで。
55周年とは関係ないみたい。 pic.twitter.com/E0hjJABDOb— 上林汚命 (@sexykambayashia) December 17, 2019
最近では、この当時のような女子アナのタレント活動はなくなりましたが、女子アナという地位を確立させたのはフジテレビの1988年入社の女子アナと他局の同期アナといっても過言ではないでしょう。
まとめ
河野景子は元フジテレビの人気アナウンサーで、女子アナとしての地位確立に大きな役割を果たしたことをお伝えしました。
また、河野景子さんの同期アナウンサーには八木亜希子さん、有賀さつきさんというタレント性のある同期がいたことで「花の三人娘」と呼ばれ、他局の同期アナにも影響したことをお伝えしました。
今、思い出しても当時のフジテレビの勢いはすごかったですね。