レツゴー正児の生い立ちと息子(テディくまだ)、トリオ結成秘話について

お笑い

レツゴー三匹のリーダーだったレツゴー正児さんが亡くなられました。

 

そこで、レツゴー正児さんの生い立ちや芸能界で活躍されている息子さんであるテディーくまださん、そしてレツゴー三匹結成秘話について調べてみました。

レツゴー正児の生い立ちとプロフィールをwiki風で紹介

 

 

レツゴー正児さんの生い立ちをプロフィールに沿ってwiki風でお伝えします。

 

名前 レツゴー正児(れつごーしょうじ)
本名 直井正三(なおいしょうぞう)
生年月日 1940年8月11日
出身地 香川県仲多度郡琴平町
出身校 大阪市立市岡商業高等学校

 

レツゴー正児さんの本名は「直井正三(なおいしょうぞう)」で、香川県仲多度郡琴平町で生まれています。

 

琴平町といえば、金刀比羅宮のある町でお座敷遊びの歌の「こんぴらふねふねおいてにほかかてシュラシュシュシュ」で有名ですね。

 

レツゴー正児さんはこの地で1940年8月11日にお生まれになっています。

 

1940年といえば、太平洋戦争が始まる1年前にあたります。

 

太平洋戦争は1941年12月8日に開戦し、1945年8月15日に終戦していますので、レツゴー正児さんは5歳までは戦争中だったことになります。

 

レツゴー正児さんは戦後、小学校に上がるわけですが、この頃についての詳しい記述は見つけることは出来ませんでした。

 

ただ、戦後すぐの日本ということで、レツゴー正児さんの小学校時代も他の国民と同様に、食べることもままならなかったことは想像できます。

 

その後、レツゴー正児さん一家は大阪に出てきます。

 

というのも、レツゴー正児さんは大阪の高校に進学しているからです。

 

しかし、普通であれば15歳高校入学となりますが、家庭の事情ということで2年遅れの17歳大阪市立市岡商業高等学校に入学します。

 

高校では演劇部に所属していたとのことです。

 

実は、この頃から芸能界に進むエピソードが登場します。

 

高校生の時から芸能活動をスタート

 

レツゴー正児さんについて調べていると、高校生になってから芸能界との縁を感じます。

 

まず最初に、高校の同級生に2代目桂春蝶(6代桂文枝)さんが居たことです。

 

 

そして、高校生時代に漫才コンビを組んでいたのです。

 

この時は、同級生と漫才コンビを組んでおりラジオ番組(漫才教室)にも出演していました。

 

更に、実の兄である新一とコンビを組んでテレビにも出演していました。

 

ただ、高校卒業と同時に芸能界に入ったのかというとそうではありません。

 

高校卒業後は一般企業に就職

 

レツゴー正児さんですが、高校卒業後は芸能界に進むのではなく、一般企業に就職しています。

 

就職先は「関西汽船」

 

ただ、関西汽船には3年間勤務したあと退職します。

 

関西汽船退職後は珠算塾の講師として2年間働き、いよいよ芸能の世界に入っていきます。

 

京芸プロに所属

 

レツゴー正児さんは1963年4月になると京芸プロに所属することになります。

 

京芸プロは横山ノックさんが所属していたトリオである漫画トリオの個人事務所です。

 

横山やすしと漫才コンビ結成し解散

 

レツゴー正児さんですが、驚くことに伝説の漫才コンビだる「やすしきよし」の破天荒で連載漫才師と呼ばれた横山やすしさんと漫才コンビ(横山やすし・たかし)を結成していた過去があります。

 

レツゴー正児さんが横山やすしさんとコンビを結成するキッカケは、高校時代に出演していたラジオ番組である「漫才教室」で、横山やすしさんも漫才教室に出演していたのです。

 

ただ、このコンビは1年で解散となっています。

レツゴー三匹結成秘話

 

 

レツゴー三匹はレツゴー正児さん、レツゴーじゅんさん、レツゴー 長作の3人を思いうかべる方が多いと思いますが、オリジナルメンバーはレツゴー 長作さんではなくレツゴー一修さんで、レツゴー 一修さん脱退後にレツゴー 長作さんがメンバーとして加入します。

 

ただ、伝説のトリオ「レツゴー三匹」が結成されるまでには、レツゴー正児さんにとっても紆余曲折がありました。

 

レツゴー正児さんは、「横山やすし・たかし」解散後、「三田ホップ・ステップ・ジャンプ」を結成したあと「スリージョーク」を結成しています。

 

両方とも、詳しい情報は入手できなかったのですが、トリオだったことは間違いないようです。

 

その理由は、レツゴー正児さんはレツゴー三匹でのトリオ漫才の話術はこの時に学んだと語っているからです。

 

レツゴー正児さんはその後も、吉本新喜劇に加入するものの兄が劇団員を引き連れて脱退します。この時、レツゴー正児さんは関係なかったのですが兄弟だったからか吉本興業から解雇されるのです。

 

とんだ、とばっちりです。

 

しかし、このとばっちりが運命を変えることになるのです。

 

レツゴー正児さんは吉本興業を解雇されたため兄が立ち上げた劇団に加入します。

 

そこで、初代レツゴー三匹のメンバーと出会うのです。

 

運命を感じさせるエピソードですね。

レツゴー正児さんの息子「テディくまだ」

 

レツゴー正児さんには芸能関連のお仕事をされている子供さんがいます。

 

レツゴー正児さんに何人の子供がいるのかはわかりませんが、長男が演出家・劇作家を行っています。

 

名前は「テディくまだ」

 

 

テディくまださんは、大阪芸術大学舞台芸術学科出身で演出家として活動するだけでなく、芸能プロダクションを経営していました。

 

芸能プロダクションの名前は「ナッツプロダクション」で、当初は福岡県を拠点にしていましたが、現在は閉鎖され、現在は東京を本拠地としています。

 

しかし、ご自身が設立した「ナッツプロダクション」を2014年に離れ、新たに舞台芸術を教える「PASOC」を設立し代表となっています。

まとめ

 

レツゴー正児さんがお亡くなりになったということで、レツゴー正児さんさんの生い立ちについて調べて内容と息子である「テディくまだ」についてお伝えしました。

 

レツゴー三匹は伝説の漫才トリオ師、お伝えした通り、トリオ結成までには紆余曲折があったものの、そんな中で偶然出会ったのには運命を感じました。

 

レツゴー正児さんのご冥福をお祈りします。

 

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