木山裕策のwikiプロフィールと経歴(若い頃から現在)!リクルートとの関係も

木山裕策さんが有吉反省会に出演されます。

 

 

趣味は切り絵で、特徴は子供がトラウマになるような怖い絵とのことです。

 

木山裕策さんといえば名作「home」を歌われていた歌手ですが、「home」発売は2008年のこと。

 

デビュー当時は甲状腺がんを克服してのデビューということで話題になりました。

 

また、サラリーマンをしながらの歌手活動も話題になり勤務先がリクルートとの噂もありました。

 

この記事では、木山裕策さんをwiki風プロフィールでご紹介したあと、若い頃から現在までの経歴についてご紹介します。

 

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木山裕策のwiki風プロフィール

 

 

名前 木山裕策(きやまゆうさく)
生年月日 1968年10月3日
出身地 大阪府大阪市京橋
出身校
  • 大阪府立大手前高等学校
  • 大阪外国語大学外国語学部スペイン語
職業
  • 歌手
  • 会社員
旧所属事務所 tearbridge production(2008年~2019年)
身長 183cm
血液型 A型
家族構成 6人家族(妻、4男)

 

木山裕策さんは1968年10月3日生まれで、出身は大阪府大阪市京橋です。

 

出身校については、高校は大手前高校を卒業し、大阪外国語大学に入学時卒業しています。

 

身長は183cmと高身長で、血液型はA型。

 

2020年7月現在、51歳で6人家族でお子さんは男の子が4人で上の子は二十歳を超えているとのことです。

 

次からは木山裕策さんの経歴について見てみます。

木山裕策の経歴(若い頃から現在)

 

木山裕策さんの経歴について、30代までの若い頃と40代以降から現在までに分けてご紹介します。

若い頃(30代まで)の木山裕策

 


出典:https://twitter.com/yusaku_kiyama

 

木山裕策さんにとって30代は激動の30代といえます。

 

まだ最初は、木山裕策さんと音楽との出会いから確認してみます。

 

音楽との出会い

 

 

木山裕策さんはもともと音楽が好き大学時代はバンドを結成してボーカルを務めていたとのことです。

 

バンド時代は好きなミュージシャンであるビリージョエルを好んで歌っていたとのことですが、音楽を職業にしようとは考えていなかったとのことです。

 

なぜなら、音楽で食べていくのは簡単でないし、歌うことが出来るだけで幸せだと思っていたからでした。

 

大学時代は外国語大学でスペイン語を専攻していましたが、大学卒業後すぐに就職することはありませんでした。会社人間になりたくないのが理由だったとのこと。

 

脚本家を目指すも諦める

 

 

木山裕策さんは大学卒業後定職にはついていませんでしたが、脚本家を目指していました

 

脚本家になるためにはシナリオ学校に通う必要があっため、塾講師をしてシナリオ学校への入学資金をため、東京に出てきます。

 

そして、上京後や昼間は働き(アルバイトや契約社員)、夜はシナリオ学校に通い、好きな歌は週末に楽しんでいました。

 

結婚

 

 

木山裕策さんは27歳で結婚されます。

 

この頃は脚本家を目指している時期でした。

 

しかし、子供が生まれ家族を養うために脚本家を諦めて就職することを決意します。

 

リクルート入社

 

就職することを決意したからといってすぐに就職出来るはずもありません。

 

木山裕策さんの場合は、大学卒業後は定職につかずアルバイトなどのフリーター状態です。

 

そこで、木山裕策さんは独学でWeb制作に関する知識と技術を習得します。

 

このような努力が功を奏したのか雇ってくれる企業が見つかります。

 

その企業が有名な「リクルート」です。

 

リクルートといえば、たくさんの起業家を生み出している会社としても有名ですね。

 

この時、木山裕策さんは28歳です。

 

会社人間にはなりたくないと言って大学卒業後定職につかなかった木山裕策さんですが、リクルートに入社した後は気づけば超会社人間になっており、深夜残業も当たり前の生活になっていたとのこと。

 

そして、課長に昇進し、100人の部下を抱えることになり、仕事の忙しさは増していきます。

 

そんな時、思ってもいなかった出来事が発生します。

 

甲状腺がん罹患

 

 

企業に入社すると毎年定期健康診断を受けることが当たり前になりますが、36歳の時に受診した人間ドックで甲状腺がんが見つかります

 

甲状腺がんが見つかる6年ほど前に2度甲状腺に異常が見つかっているのです。

 

しかし、いずれも検査の結果問題なかったのですが、36歳の時の人間ドックでは甲状腺がんが見つかり、がんのレベルは「レベル4」で悪性の疑いが高いとの診断を受け、手術を受けることになります。

 

恐れていた「声を失うこともなく」、手術は成功します。

 

実は、木山裕策さんは手術をする前に決めていたことがあったのです。

 

甲状腺癌は喉仏の下にあるため、手術によって声が出なくなる可能性がありました。

 

木山裕策さんは、歌が好きだったこともあり、もし手術が成功して今まで通りに声が出るなら「CDを1枚作って、子供たちに残したい」と考えていました

 

歌手デビューと紅白歌合戦出場

 

甲状腺がんの手術が成功したことで、木山裕策さんは、歌への挑戦を決意します。

 

テレビのオーディション番組に応募したのです。

 

応募したテレビ番組は日本テレビの「歌スタ!!」です。

 

「歌スタ!!」では好きだったビリージョエルの歌(Piano Man)と平井堅さんの歌(瞳をとじて)を歌い、最終的にはデビュー曲である「home」で歌手デビューを勝ち取ります。

 

2008年2月6日、「home」で歌手デビューを果たします。

 

そして、2008年の年末にはNHK紅白歌合戦に出場したのです。

 

この時、木山裕策さんの年齢は39歳でした。

現在(40代以降)の木山裕策

 

 

39歳でデビューを果たし、いきなりデビュー曲「home」が大ヒットします。

 

しかし、この時もサラリーマンとして働きながら、週末のみ歌手活動を行っていたのです。

 

転職

 

既にお伝えした通りリクルートで働いていた時は、深夜まで仕事していたとのことでした。

 

それが、甲状腺がんを患った頃には部下100人いる部署の課長職ということで、忙しさはかなりのものだったと思います。

 

だからなのか定かではありませんが、デビューしてから3回転職しているとのことで、デビューする前から合わせると2018年までに6回転職を経験しているそうです。

特に40歳を超えてからの転職は、自分の幅を広げつつ、その時々の環境に合わせて転職先を決めているとのことです。

所属事務所とレコード会社の移籍

木山裕策さんはデビューした頃から、所属事務所とレコード会社を移籍しています。

所属事務所は、2008年から2019年まで「tearbridge production」という事務所に所属していましたが、現在所属している事務所はありません。

「tearbridge production」はエイベックスに属するマネジメント事業部の一つでしたが、2019年8月29日に改名して、現在「tearbridge production」という事務所名はなくなっています。

木山裕策さんは2019年11月末で事務所との契約を終えていますが、事務所を離れた理由としては、60歳以降の音楽活動を考えての決断だったようです。

レコード会社については、2016年に「ユニバーサルミュージック」に移籍し、2020年1月には「キングレコード」へ移籍しています。

2020年の木山裕策

 

現在の木山裕策さんですが、事務所を離れ個人で活動していますが、歌手活動だけでなく講演活動も活動の中心と添えられています。

 

また、レコード会社がキングレコードに変わり、第一弾として発売したのはオリジナルではなくカバーアルバムです。

 

カバーソングには、下記のような往年のヒット曲が含まれています。

 

  • め組のひと(ラッツ&スター)
  • I Love you, SAYONARA(チェッカーズ)
  • 初恋(村下孝蔵)
  • いっそセレナーデ(井上陽水)
  • 悲しくてやりきれない(ザ・フォーク・クルセイダーズ)
  • 越冬つばめ(森昌子)
  • Desperado(イーグルス)
  • OH MY LITTLE GIRL(尾崎豊)
  • リフレインが叫んでる(松任谷由実)

 

また、カバーアルバムには上記の曲意外に木山裕策さんが作詞作曲したオリジナル曲も含まれています。

 

更に新たな活動としては、YouTubeライブをスタートし、「マジ★ウタちゃんねる」では歌とトークを中心にし、視聴者の方からのリクエストに応えたりするなど視聴者の方との双方向の関係性を作っているようです。

 

まとめ

 

サラリーマンだった木山裕策さんが「home」でデビューしてから10年。

 

この記事では木山裕策さんをwiki風プロフィールでご紹介した後、サラリーマンと歌手の兼業、甲状腺がんとの戦いなど若い頃から現在までの経歴をご紹介しました。