岸部四郎さんが亡くなられました。
岸部四郎さんと言えば岸部一徳さんと兄弟でああり長身であること、13年もの長い間「ルックルックこんにちはの司会」をしていらこと、自己破産、最近は老人ホームで生活していたことなどが思い出されます。
この記事では、上記の内容を含め、岸部四郎さんの生い立ちについてお伝えしたいと思います。
岸部四郎のwiki風プロフィールと生い立ち
岸部四郎さん、ご冥福を祈ります…。 pic.twitter.com/a8Et12NOWW
— 安室麗 (@newtypeamroray) September 15, 2020
本名 | 岸部四郎(きしべしろう) |
別名義 | 岸部シロー |
生年月日 | 1949年6月7日 |
出身地 | 京都府京都市 |
出身校 | 京都市立近衛中学校 |
兄 | 岸部一徳 |
所属事務所 | アン・ヌフ |
岸部四郎さんは、1949年6月7日生まれで京都府京都市出身で京都市立近衛中学校を卒業されています。
家族構成は、両親と7人兄弟なので9人家族ということになります。
岸部四郎さんは四男で、兄の岸部一徳さんは三男とのことです。
その他の兄弟については性別も含めて公表されていません。
ただ、お父さんに関する情報としては「元憲兵」だったとのことが公表されています。
実は、岸部四郎さんについては中学卒業後からの情報しかわかりません。
ザ・タイガースで芸能活動開始
🌹Happy Birthday Shiro🌹岸部四郎様、お誕生日🎂おめでとうございます💐タイガースの中で一番年下brotherでもお兄様メンバー達を立て明るいトークでTGを盛り上げて下さり、愛唱されたビージーズやビートルズ楽曲、心に響きます💠どうぞ焦らずゆっくり療養され穏やかな日々を過ごされますように🍀🌿🌼 pic.twitter.com/25XB8uZP0y
— まりい (@mannenmiiha) June 7, 2020
岸部四郎さんが芸能活動を開始するのはグループサウンズの大スターだった「ザ・タイガース」からですが、ザ・タイガース加入前は中学卒業後印刷会社への就職・退職、バンドボーイ、音楽アドバイザー、音楽特派員(ニュージックライフ)として活動していました。
岸部四郎さんがザ・タイガースに加入したのは1969年3月のことです。
私が好きな、ザ・タイガース
沢田研二、岸部おさみ(一徳)、加橋かつみ、森本太郎、瞳みのる、加橋脱退後は岸部四郎が加わり、
1981年のタイガース同窓会は瞳さん以外が、
2013年の再結成時には全員揃いました。
今、四郎さんは病気療養中。
しかし、みんな元気です。
特に一徳さんはドラマで大活躍‼︎ pic.twitter.com/yaqPqGoAtM— セニョールしゅーと 2020年カープ 日本一へ! (@MasterNana7pop) March 2, 2018
当時大人気だったザ・タイガースになぜ加入することが出来たのかはお兄さんである岸部一徳さんの存在が大きく影響しています。
岸部一徳さんはザ・タイガースのベーシストだったのです。
この時、ザ・タイガースではギターを担当していた加橋かつみさんが脱退し、新しいギタリストを探しており、岸部一徳さんが弟の四郎さんの加入を勧めたそうです。
岸部四郎さんと岸部一徳さんは兄弟で同じバンドに所属し、その後押しをお兄さんである一徳さんが行ったとなれば兄弟仲は良かったといえそうでうね。
とはいっても、不思議なことが残っています。
何かというと、岸部四郎さんはザ・タイガースにギタリストとして加入したのですが、ギターは弾けなかったのです。ギターを弾けないのにギタリストとして大人気バンドに加入なんて信じられませんね。
だから、ザ・タイガース加入時は現在のゴールデンボンバーのようにギターの弾き真似をしていたとそうです。
その後はギターが弾けないのでタンバリンを演奏したりしたとのことですが、ギターなしでバンド演奏が出来たのか疑問ですね。
ただ、ザ・タイガースとして岸部四郎をメンバーに入れたことで良いことも多かったようで、バンドイメージの転換やトーク面で頭角現していったようです。
ザ・タイガースは1971年1月24日に開催となるのですが、岸部四郎さんはトーク力を活かした活動をしていくことになります。
司会者・役者として活動
岸部四郎さんはザ・タイガース解散後は司会者や役者として活動することになります。
ザ・タイガース時代に鍛えたトーク力が評価されたのでしょう。
1984年には朝の帯番組「ルックルックこんにちは」の司会者となり1998年まで13年間続くことになりますが、ご自身が原因で番組降板となるのです。
岸部四郎さん。懐かしい番組ですが、「ルックルックこんにちは」の印象が強いです。独特な雰囲気が好きでした。
御冥福をお祈りします。 pic.twitter.com/ZA95cmeUFf— 好西亭さん椒 (@osho3sho) September 15, 2020
役者としては西遊記での沙悟浄役が印象に残っていますね。
ただ、先程お伝えした「ルックルックこんにちは」を降板した49歳以降はどん底の晩年を送ることになります。
転落のきっかけは自己破産
岸部四郎さん、波乱万丈の人生に幕…人気司会者から一転、借金5億2000万円抱え自己破産 https://t.co/ZhF83sa0IJ #芸能ニュース #芸能 #ニュース
— スポーツ報知 (@SportsHochi) September 15, 2020
「ルックルックこんにちは」を自ら降板することになったことはお伝えしましたが、なぜ降板を申し出たのかと言えば自己破産したからです。
「ルックルックこんにちは」は帯番組で、13年間も続けていればかなりの報酬を得ていたと考えられますが自己破産の手続きが行われたのです。
誰もがびっくりしました。
岸部四郎さんが自己破産することになったきっかけは「連帯保証人」と「浪費癖」です。
岸部四郎さんは受け取る多額の報酬を得ていたと思われますが、一方で浪費癖がひどかったようです。
自分の借金がいくらになっているのかも知らずに借金までして浪費していたようです。
そこに複数の連帯保証人を引き受け多額の借金を負ったことに加え、営んでいた事業の失敗も重なり自己破産する事態に発展したとのことです。
結婚・離婚・再婚・死別について
岸部四郎さんは2度結婚されています。
一度目はタイガース時代。
2人の子供がいたとのことですが1986年に離婚しています。
離婚から8年後の1994年に小緒里さんと再婚します。
引用元:東スポ
しかし、結婚から13年後の2007年4月6日に小緒里さんは心臓発作が原因で亡くなられています。
闘病生活と老人ホームでの生活
岸部四郎さんはは、再婚した奥様である小緒里さんを亡くした2年後の2009年頃から体の自由が効かなくなったこともありメディアへの露出が極端に少なくなっていきます。
実は、岸部四郎は2003年に脳出血を患っていたのです。
命は助かったものの後遺症は残り、右目の視野は通常時の三分の一になっていたとのことです。
そして、今から8年前の2012年2月以降は老人ホームで暮らしていることをテレビ番組で語っておられました。
ということは、63歳の頃から老人ホーム生活を始められたことになるんですね。
まとめ
シローさん😢
もう一度歌ってほしかった…。
7年前、東京ドームのタイガース復活ライブで、車椅子姿で「若葉のころ」を歌ってくれたのを見たのが最後になってしまいました。忘れません🙏#岸部四郎#岸辺シロー#ザ・タイガース pic.twitter.com/oX7bZN71ay— KEIJI@天下の風来坊 (@keijikh) September 15, 2020
71歳で亡くなられた岸部四郎さんの生い立ちを振り返り、兄である一徳との兄弟仲や決軒・離婚・再婚・再婚した奥さんとの死別、晩年の老人ホームで生活などについてお伝えしました。
ただ、71歳というのは早いと感じますが、岸部四郎さんの人生を振り返ってみると濃い人生だったようにも感じます。
岸部四郎さんのご冥福をお祈りします。