遠藤正己(駒師)wikiプロフィールと経歴!居酒屋経営から駒師に転身した理由が奇跡

テレビ番組

駒師の遠藤正己さんがNHK「逆転人生」に出演されます。

 

 

駒師といえば将棋。

 

将棋といえば、先日藤井聡太さんが棋聖のタイトルを最年少で獲得したことが話題になりました。

 

遠藤正己さんは将棋の駒を作る職人さんですが、長く駒師として職人として活動してきたのではなく、居酒屋経営からの転身で駒師になったそうなのです。

 

この記事では、遠藤正己さんをwiki風プロフィールで紹介したのち、どのようにして居酒屋経営に乗り出し、どのような理由があって駒師に転身したのかをお伝えします。

遠藤正己さんのwiki風プロフィール

 

 

名前 遠藤正己(えんどうまさみ)
生年月日 1952年
血液型
出身地 東京生まれ、山梨県育ち
出身校
職歴
  • 弾き語り
  • 自動車販売店営業
  • 居酒屋経営
  • スーパーの惣菜係
  • ゴルフ場レストラン
  • テイクアウト寿司店の支配人

 

遠藤正己さんは、1952年東京都生まれの山梨県育ちです。

 

山梨県では高校卒業まで過ごしますが、父親の職業が地方公務員ということもあり転勤で山梨県内での引っ越しを何度も経験しているとのことです。

 

この後、数多くの職歴についてお伝えしますが、遠藤正己さんが駒師としてのお仕事をスタートするのは59歳の時です。

 

アルバイトから弾き語り、自動車販売店営業を経て念願だった居酒屋経営をスタートすることになり、その後、順調だった人生は真っ逆さまに逆転したのち、駒師にたどり着くことになります。

 

次は、遠藤正己さんが経験した転職人生から駒師になるまでをご紹介します。

転職人生からの駒師になるまで

 

 

遠藤正己さんの職歴欄をご覧いただくとわかりますが、たくさんの職歴があります。

ただ、ここに記載しているのは一部で20以上の職を経験しているそうです。

遠藤正己さんですが、高校卒業後は目的を持って上京するのですが、早い段階でも挫折したとのこと。

当時は、飲食業でアルバイトをしていたとのことですが、飲食業が面白くなり、将来は自分でお店を持ちたいと思うようになったそうです。

飲食業のお仕事で楽しかったのはホールの仕事で、お客さんとのやり取りが楽しかったとのことです。

飲食業でのアルバイトをするなかで自分のお店を持ちたいと考えるようになった遠藤正己さんですが、ひょんなことから弾き語りをすることになります。

弾き語りの仕事

 

 

弾き語りの仕事を始めるようになったのは本当にひょんなきっかけからでした。

 

当時、遠藤正己さんはパブで働いていたのですが、そのパブにはギターが置いてあったことからギターの練習をはじめるようになります。

 

すると顔見知りのプロダクションの社長にギターが弾けるんだったら3日間だけ弾き語りの仕事をお願いしたいということで引き受けることになります。

 

なぜ、ギターは聞けるとはいっても素人の遠藤正己さんに声がかかったのかには理由がありました。

 

この頃は、ギターの弾き語りが流行りだした頃だったのですが、ギターを弾くプレーヤーが不足していたとのこと。

 

3日間という条件で弾き語りを引き受けた遠藤正己さんですが、弾き語りの仕事であちこち飛び回ります。

 

各地のナイトクラブなどに1ヶ月など泊りがけで行っていたようです。

 

そして、働いていたお店のお客さんとして訪れた女性に一目惚れし結婚することになります。

 

結婚し2人目の子供が出来たことがきっかけとなり、弾き語りの仕事を辞めて遠藤正己さんが育った山梨県に移住します。

 

自動車販売店の営業の仕事

 

 

遠藤正己さんは家族で山梨県に戻り始めたお仕事は「自動車販売店」の営業の仕事でした。

 

このお仕事は2年間続けることになるのですが、自分のお店を持つための資金を貯める意味合いがあったのかもしれません。

 

なぜなら、自動車販売店の仕事を辞めた後、念願だった自分のお店を持つという願いを実現するからです。

 

居酒屋経営のお仕事

 

 

遠藤正己さんは、31歳になって、これまで飲食業で働いていたことと、当時居酒屋が流行り始めたことから居酒屋経営をすることになります。

 

東京で流行っていた居酒屋を真似て山梨で居酒屋をオープンすると大繁盛

 

居酒屋の店内には23席あるのですが、開店から閉店まで空席はできません。

 

毎日3回転するほどバカ当たりしたとのことです。

 

居酒屋が当たったのは学生が多いロケーションだったのと提供する商品の価格が安かったことがお客さんに受け入れられたのだろうということです。

 

しかし、居酒屋開店から13年後に転機を迎えるのです。

 

居酒屋閉店

 

 

繁盛していた居酒屋ですが、開店から13年後の44歳の時に転機を迎えます。

 

奥さんが交通事故で急死されたのです。

 

因果関係はわかりませんが、奥さんが亡くなられてから全ての歯車が狂い出したとのことです。

 

居酒屋は赤字経営となり閉店することになるのです。

 

居酒屋閉店からの15年

 

遠藤正己さんですが、大繁盛していた居酒屋を赤字続きで閉店してから駒師の仕事に出会うまでの15年は泥沼だったとのことです。

 

奥さんが交通事故で亡くなり、経営していた居酒屋も閉店。

 

この時は44歳なので子供も小さくまだまだ働かなければなりませんので、新しい仕事を見つけて働き始めます。

 

スーパーでは惣菜係として働いたあとはゴルフ場のレストランで働き、その後はテイクアウトのお寿司店の支配人として働いたものの長続きしません。

 

そんな中、2つの大きな問題が遠藤正己さんに降りかかります。

新たな2つの大問題

 

 

遠藤正己さんによると居酒屋を閉店したあとの15年間は泥沼の15年間だったとのことですが、仕事だけでなく、新たな2つの大きな問題が発生したことも泥沼だといわれる理由かもしれません。

 

遠藤正己さんに降り掛かった2つの大きな問題とは次の2つです。

 

  • 消えた年金問題の対象となり東京時代の年金記録が消えた
  • 母親の介護

 

社会保険庁では2006年にかけて年金手帳の基礎年金番号への統合を進めていましたが、2007年になってコンピュータ上には年金記録があるものの、基礎年金番号に統合・整理されていない記録が約5000万件あることが判明して「消えた年金」と大騒ぎになりましたが、遠藤正己さんは消えた年金の対象者となったのです。

 

遠藤正己さんは東京で働いていた頃は国民年金を支払っていたのですが、年金を支払った記録が消えてしまったというのです。

 

年金記録が消えたということは、基に戻らない限り将来受け取れるはずの年金はないことになります。

 

老後のことを考えると働かざる得ません。

 

しかし、働くことへの障壁が発生するのです。

 

それが、母親の介護です。

 

遠藤正己さんのお母さんがどのような介護が必要だったのかはわかりません。

 

しかし、サラリーマンのように9時5時で働くようなことは出来なかったようです。

 

年金があてに出来ないので働かなければならない、しかし働きに出ることが出来ないとうジレンマに襲われるのです。

 

遠藤正己さんもいろいろと考えたとのことですが、そんな中で頭に浮かんだのが将棋サロンだったとのことです。

 

遠藤正己さんはもともと将棋が好きだったそうですが、将棋サロンを考えたのは次のような理由もあったとのことです。

 

  • 将棋サロンだと定年した将棋好きが気楽に集まれる
  • 将棋盤などの備品はオークションで安く用意できる

 

定年退職された人たちは会社に行かないので家にいることが多くなりますが、家にいると邪魔者扱いされるし、家の外に出てパチンコに出かけるとお金必要になります。

 

将棋サロンがあれば、多くの出費なしに外出することが出来るので多くの人に喜ばれると考えたとのことです。

 

また、将棋サロンを作るのに必要な部屋は空き家を使い、将棋盤などの備品はネットオークションで少しづつ安い値段で購入することで費用をかけずに将棋サロンオープンが実現することにつながると考えます。

 

しかし、将棋サロンオープンが駒師に変わる出来事がおきるのです。

駒師(大澤建夫さん)との出会い

 

 

先程、遠藤正己さんは将棋サロンをオープンするべく将棋盤などを集め始めたとお伝えしました。

 

そんな中、「駒彫りの実演」を見る機会を得ます。

 

遠藤正己さんは、100セットほどある将棋駒を目にしますが、どれが良い駒なのかわかりません。

 

そんな時に遠藤正己さんに声をかけてきた人物が駒師の大澤建夫さんだったのです。

 

大澤建夫さんは、タイトル戦に使われる駒を作るような駒師です。

 

そんな駒師に「気に入った駒がなければ自分で作ってみれば」と言われ、駒の作り方は大澤建夫さんが教えてくれるというのです。

 

このような出会いがあって、遠藤正己さんは大澤建夫さんに駒作りの教えを請うことになったのです。

 

この時、遠藤正己さんは59歳です。

 

駒師としての修行はお母様の介護が終わったあと睡眠を削って夜に行っていたとのことです。

わずか7年でタイトル戦で使われる駒を作ることに!

 

遠藤正己さんは59歳から駒づくりをスタートしたわけですが、7年後の66歳の時、遠藤正己さんが作った駒が竜王戦というタイトル戦で使われたのです。

 

 

タイトル戦で使われれる駒は対局を行う棋士が話し合って決めるとのことですが、竜王戦第3局で戦った羽生善治さんと広瀬章人さん両者が遠藤正己さんが作った駒を選んだとのことです。

 

遠藤正己さんは駒作りを初めて、わずか7年でタイトル戦で使われる駒を作る駒師になったのです。

まとめ

 

駒師である遠藤正己さんの人生を振り返ってみました。

 

遠藤正己さんの人生を見てみると、人生波乱万丈ということばが思い浮かんできます。

 

「人生良い時があれば悪いときもある」

 

まさに遠藤正己さんはこのような人生を亜結出るように感じました。

 

そして、59歳という年齢でも新たな挑戦する場所が見つかるというのも若い人に希望をもたせてくれますね。

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