長山洋子がおニャン子クラブ出身ってなぜ?アイドル時代と演歌歌手両方経験してるから?

歌手の長山洋子さんは現在50歳を超えていますが、昔アイドルをしていたのをご存知でしょうか?

ただ、ソロ歌手だったような気がするのですが、おニャン子クラブ出身だと思われている方が多くいるようです。

おニャン子クラブといえば会員番号を自己紹介で最初に言うのが特徴的でしたね。

この記事では、長山洋子さんがおニャン子クラブ出身なのか?

おニャン子クラブ出身でないとすれば、なぜ長山洋子さんとおニャン子クラブのメンバーのように言われるのかを探ってみます。

長山洋子はおニャン子クラブ出身?会員番号は?

まず最初に結論からお伝えすると、歌手の長山洋子さんはおニャン子クラブの出身ではありません

ただ、ネット上では「長山 洋子 お ニャン 子」や「長山洋子 おニャン子クラブ 会員番号」のキーワードで多く検索されているというのは事実なのです。

キーワードに会員番号を入れているところを見ると、間違いなく長山洋子さんがおニャン子クラブのメンバーだったと思われているようですね。

おニャン子クラブの会員番号を用いた自己紹介をみたことがあるのでしょうか?

長山洋子はなぜ元おニャン子クラブだと思われている?

冒頭でもお伝えした通り、長山洋子さんが元おニャン子クラブのメンバーだと勘違いされている方が多く存在します。

なぜなのでしょうか?

勘違いするようなエピソードがあったのでしょうか?

長山洋子さんのプロフィールや経歴の確認から行ってみます。

長山洋子のプロフィール

長山洋子さんのプロフィールを簡単にまとめると下記のようになります。

項目 詳細
出生名 長山 洋子
生誕 1968年1月13日
出身地 日本・東京都大田区
学歴 堀越高等学校卒業
ジャンル 演歌、アイドル歌謡曲
職業 歌手、女優
活動期間 1984年 –
レーベル JVCケンウッド・ビクターエンタテインメント
事務所 バーニングプロダクション
アイドルとしてのデビュー 1984年にシングル「春はSA-RA SA-RA」でデビュー。アイドル歌手として1990年頃まで活動。
演歌歌手としてのデビュー 1993年に「蜩 – ひぐらし -」で演歌歌手として再デビュー。

上記の表でまとめたように、長山洋子さんは1984年にアイドル歌手としてデビューし約6年間活動し、一旦活動停止。

3年後に当時としては珍しいアイドル歌手から演歌歌手に転身し現在に至ります。

長山洋子の経歴

長山洋子さんの経歴を簡単にまとめると下記のようになります。

期間 経歴
1984年 シングル「春はSA-RA SA-RA」でアイドル歌手としてデビュー。
1990年頃 アイドル歌手としての活動を終了。
1993年 「蜩 – ひぐらし -」で演歌歌手として再デビュー。
1995年 「捨てられて」がリリースされ、演歌歌手としての地位を確立。
2003年 「ザ・ベストテン2003」でアイドル時代の曲「ヴィーナス」を歌唱。
2009年 期間限定でアイドル活動を復活。
2019年 乳がんの手術を受けることを公表。

長山洋子さんに関して一番印象的なのはやっぱり、アイドルから演歌歌手への転身だと思います。

長山洋子とおニャン子クラブの共通点

記事の冒頭で長山洋子さんがおニャン子クラブのメンバーだったという前提の検索が多いことはお伝えしました。

多くの方が検索するということは、それなりの理由があると考えます。

ということは、長山洋子さんとおニャン子クラブに何らかの共通点があるのかもしれません。

おニャン子クラブが結成されたのはいつ?

おニャン子クラブが結成されたのは1985年4月25日です。

長山洋子さんの歌手デビューが1984年なのでデビューは1年違いということになります。

ということは当時は音楽番組が盛んだったので音楽番組で共演していても不思議ではないですね。

でも、だからといって個人である長山洋子さんが大勢のメンバーで構成されているおニャン子クラブのメンバーとして認識されるにはそれなりのエピソードがあるはずです。

しかし、エピソードを調べてみたものの、「これだ!」というようなはっきりとしたエピソードは見つかりませんでした。

ただ、ひとつだけヒントになるキーワードを見つけました。

それは「演歌歌手」です。

おニャン子クラブでアイドルから演歌歌手への転身したメンバーはいる?

長山洋子さんとおニャン子クラブはほぼ同時期にデビューしています。

また、長山洋子さんはアイドル歌手から演歌歌手に転身していますが、おニャン子クラブの中にも演歌歌手に転身したメンバーが1人だけいたのです。

そのメンバーは城之内早苗さん。

城之内早苗さんの経歴を簡単に確認してみます。

城之内早苗の経歴とエピソード

城之内早苗さんの経歴と簡単なエピソードを下表にまとめました。

年代 経歴・エピソード
1968年5月17日 日本の茨城県神栖市に生まれる。
幼少期 民謡と三味線を習い始める。
1984年 「神栖町民音頭」をレコーディング。
1985年5月 フジテレビ『夕やけニャンニャン』のオーディションコーナーに出場し、おニャン子クラブの会員番号17番となる。
1986年6月 「あじさい橋」でソロデビュー。おニャン子クラブメンバーでは唯一の演歌界進出。
2004年12月 『夕やけニャンニャン』のディレクターである木村忠寛と結婚。
2008年2月 レコード会社をユニバーサルシグマに移籍し、「この街で」をリリース。
2010年9月22日 レコード会社をテイチクエンタテインメントに移籍し、「泣き砂 海風」を発売。
2018年9月26日 レコード会社を徳間ジャパンコミュニケーションズに移籍し、「よりそい蛍」を発売。
2021年8月31日 全国の通信カラオケDAMの「DAM CHANNEL演歌」の5代目MCに就任。

城之内早苗さんはおニャン子クラブに加入する前から民謡を習っており、おニャン子クラブ加入1年前に民謡をレコーディングしています。

また、おニャン子クラブ加入1年後の1986年に演歌歌手としてデビューしています。

演歌歌手が長山洋子とおニャン子クラブの共通点

ここまでお伝えした通り、長山洋子さんとおニャン子クラブの関わりやエピソードにこれといったものはありません。

それなのに、長山洋子さんがおニャン子クラブのメンバーだと勘違いされているのは、あまり馴染みのないアイドル歌手から演歌歌手への点心だと考えます。

デビュー時期も同じような時期ですし、アイドル歌手から演歌歌手への転身は珍しいです。

約40年の時が流れて、長山洋子さんと城之内早苗さんが何らかの理由で重なったのではないでしょうか?

まとめ

演歌歌手として活動する長山洋子さんがおニャン子クラブのメンバーだったと勘違いされて検索が多い原因について調べてみました。

結論からいうと、はっきりとした理由は見つかりませんでした。

ただ、ひとつだけ共通するキーワードが「アイドル歌手から演歌歌手への転身」です。

それも同時期なので、約40年の間に記憶が曖昧になって長山洋子さんと元おニャン子クラブの城之内早苗さんと間違える方が多いのではないでしょうか。