竹内結子と浅香唯の違いは母親の存在?一言が運命の分かれ道かも

竹内結子さんが亡くなり、複雑な家庭環境だったとの話が雑誌などに掲載されていますね。

 

中学生時代の家族を取り囲む家庭環境の変化がその後の竹内結子さんの生き方に影響を与えているというものです。

 

本日、元アイドル歌手の浅香唯さんが一時期芸能活動を休止した時のことが語られました。

 

その内容を読んで思い浮かんだのが竹内結子さんのこと。

 

浅香唯さんも一歩間違えが竹内結子さんのようになっていたのかもと思ってしまいました。

 

2人の違いについてお伝えします。

 

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浅香唯さんのwiki風プロフィール

 

 

浅香唯さんのプロフィールを簡単にwiki風でお伝えします。

 

名前 浅香唯(あさかゆい)
本名 西川亜紀(にしかわあき)
出生名 川崎 紀(かわさきあき)
生年月日 1969年12月4日
出身地 宮崎県宮崎市
出身校 明治大学付属中野高等学校定時制
身長 151cm
血液型 A型
所属事務所 JAM企画

 

浅香唯さんは、宮崎県宮崎市出身1969年12月4日生まれですので、2020年10月現在は50歳です。

 

宮崎県にいた頃の浅香唯さんの夢は「獣医」ということで高校は進学校の「宮崎県立宮崎南高等学校」に入学しています。

 

ちなみに、この浅香唯さんが入学した高校は俳優の堺雅人さんの出身校でもあるそうです。

 

浅香唯さんの後輩が堺雅人さんということになりますね。

 

しかし、浅香唯さんは転校することになります。

 

芸能界デビューのためです。

 

浅香唯さんが芸能界デビューしたのは1985年のことです。

 

デビュー前年(1984年)に開催された「ザ・スカウトオーディション’84」」で浅香唯賞を受賞したことがキッカケでした。

 

 

 

芸名である浅香唯は、この時に受賞した賞の名前だったのですが、浅香唯という名前は「シューティングスター」という漫画のヒロインの名前です。

 

でも、浅香唯という名前は芸名としては申し分ないインパクトがあり、かわいい名前ですね。

スーパーアイドルへと駆け上る浅香唯

 

浅香唯さんはアイドルとしてスーパーアイドルへと駆け上っていくわけですが、ステップアップする上で大きな転機となったのが「スケバン刑事」のヒロインに選ばれたことです。

 

「スケバン刑事」はシリーズ化されておりヒロインは麻宮サキを名乗っています。

 

初代ヒロインは斉藤由貴さん、2代目ヒロインが南野陽子さん、そして3代目ヒロインが浅香唯さんなのです。

 

 

浅香唯さんが出演したスケバン刑事は「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」で、風間三姉妹が特徴的でした。

 

 

「スケバン刑事III 少女忍法帖伝奇」は人気があったこともあり、当初放映期間は半年だったものが1年に伸びたという逸話があります。

 

現在は、3ヶ月が当たり前になっているので、今思うと長期間ですね。

 

それほど、視聴率が高かったということでしょう。

 

しかし、人気者になることで失っていくものが出てきます。

芸能活動を休止

 

浅香唯さんはアイドルとして多忙な日々を過ごすわけですが、当時のアイドルの忙しさは現在とは比べることが出来ないほどの忙しさだったと言われます。

 

その状態を何年も続けていると心身への負担はそうとうなものであることは想像出来ます。

 

浅香唯さんは責任感が強かったということもあり、全てを自分で背負うように仕事をしていたと語っています。

 

 

すると、次第にその重圧に耐えることが出来なくなり、体も壊れそうな位疲弊していたとのことです。

 

当時は、宮﨑から東京に出てきて、「弱音を吐かないと心に決めていた」とのこと。

 

母親の反対を押し切って、「親子の縁を切ってでも」という気持ちで上京したこともあったからというのが理由です。

 

心身ともに限界だった浅香唯さんですので、一歩間違えれば危なかったかもしれません。

 

しかし、たった一言が彼女を救うのです。

母親の一言が浅香唯を救う

 

心身が壊れそうな浅香唯さんでしたが、ひとりで苦しんでいました。

 

すると、そんな時に母親から電話が入ります。

 

その電話で浅香唯さんは母親に何も話していないのに、次のように語ったというのです。

 

「あなたには帰る家があるのだからいつもで安心して帰っておいで」

 

この時、「絶対に一人で考えすぎるんじゃないよ」と言われたようです。

 

この一言で浅香唯さんの苦しみは開放されます。

 

そして、芸能活動を休止を決めたとのこと。

 

浅香唯さんは実際に宮﨑に戻ったわけではなかったようですが「帰る家がある」と言ってもらったことで安心出来たようですね。

 

また、浅香唯さんは一人っ子で両親共働きだったこともあり寂しい思いをすることが多かったとお伝えしました。

 

しかし、浅香唯さんのお母さんは帰宅すると何でも話を聞いてくれたそうです。

 

この時の体験は浅香唯さんの人生に大きな影響を与えたということで、自分の娘さんとの間でも「お悩み相談タイム」という時間を設けて普段から何でも相談できる時間を用意しているとのことです。

浅香唯さんと竹内結子さんの環境で大きく違うもの

 

竹内結子さんの家庭環境については、下記の記事でご紹介しました。

 

竹内結子が語った複雑な家庭環境!結果的に子供が同じ環境になるのが辛い

 

竹内結子さんは三姉妹の末っ子として生まれ、三姉妹はかなり厳しく育てられ、理不尽に感じることも少なくなかったようです。

 

おそらく、当時の竹内結子さんにはお母さんという味方がいたと思われます。

 

しかし、お母さんが癌だとわかったあと、両親は離婚し、母親が亡くなった翌年に父親は再婚します。

 

再婚相手には3人の連れ子がいたこともあり、竹内結子さんは「自分には帰る場所がない」と思うようになります。

 

だから芸能界で頑張ったとも言えますね。

 

ただ、浅香唯さんと同じように誰にも頼らないことが当たり前になると、悩みも自分の中に閉じ込めてしまいます。

 

もし、竹内結子さんのお母さんが生きていれば・・・

 

「たられば」になってしまいますが、お母さんからの一言があればどうなっていたのかと考えてしまいました。

まとめ

 

浅香唯さんの芸能界デビュー前、そして芸能活動一時休止した時の手記を読んで、母親の存在の大きさ、そして「一言の重要さ」を感じました。

 

そして、先日なくなった竹内結子と芸能界入り当時の環境がダブリ、良くないことはわかりながら比べてしまいました。

 

人間は誰しもそんなに強くないので、信頼できる人からのたった一言でも人生を帰るくらい大切なんだと改めて気づきました。