竹内結子の生い立ち!家出の過去や出身校、芸能活動までをまとめてみた!

竹内結子さんが亡くなったということで、竹内結子さんの生い立ちについてしらべてみました。

 

すると、家出の過去や知らないことが出てきました。

 

竹内結子さんの出身校を始め、芸能活動をスタートさせるまでを振り返ってみます。

 

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竹内結子さんのwiki風プロフィール

 

 

竹内結子さんのプロフィールをwiki風でまとめてみます。

 

名前 竹内結子(たかうちゆうこ)
生年月日 1980年4月1日
出身地 埼玉県浦和市(現さいたま市南区)
あだ名 けつこ
血液型 A型
身長 164cm
出身校
  • 浦和市立白幡中学校(現浦和市立白幡中学校)
  • 埼玉県立新座北高等学校(現新座柳瀬高校)
所属事務所 スターダストプロモーション
家族構成 両親、三姉妹の末っ子

 

竹内結子さんは1980年4月1日生まれですので、2020年8月現在は40歳ということになります。

 

まだまだ若いのに亡くなったと思うと残念ですね。

 

出身は埼玉県浦和市現在のさいたま市南区となります。

 

また、本名については、名字については公表されていませんが、名前については「結子」ということです。名前の漢字は「けつこ」とも読めるので小学校のころは「けつこ」があだ名だったとのことです。

 

ご実家は「ハムカツ屋」を営んでいたと言われています。

「ハムカツ屋」が実家だというのは、テレビ番組での何気ない一言から明らかになったとのことです。

そのテレビ番組は「とんねるずのみなさんのおかげでした」で、この番組の名物コーナーだった「食わず嫌い王決定戦」に竹内結子さんが出演した時のおみやげが「ハムカツ」で、竹内結子さんが「実家のハムカツ」と紹介したことから「実家がハムカツ屋」となったと言われています。

 

竹内結子さんの生い立ちと過去の家出

 

竹内結子さんは1980年4月1日に竹下家の三女として生まれます。

竹内結子さん一家の家族構成は、両親3姉妹の5人家族で、竹内結子さんは末っ子だったとのことです。

 

末っ子なので甘やかされて育ったのかというと異なり、三姉妹ともかなり厳しく育てられたようです。時には鉄拳制裁も辞さなかったようで殴られることもあったようです。

 

その影響があってか、竹内結子さんも芯が強い子供に育ったとのこと。

 

性格的には明るく、モノマネで同級生を笑わすような子供だったようです。

 

しかし、ショックな出来事が起きます。竹内結子さんが中学生2年生の14歳の時にお母様をガンでなくされたのです。更に言うと、お母様がガンになっった後に両親が離婚するという2重のショックが襲いかかります。

 

竹内結子さんは15歳で芸能界入りするのですが、芸能界に入ってすぐに父親が再婚し、義理の母になる人には3人の連れ子(男3人)がいたとのことです。

 

出身校については、中学校と高校が明らかになっており、中学校は浦和市立白幡中学校(現在の浦和市立白幡中学校)で、高校は埼玉県立新座北高等学校(現在の新座柳瀬高校)ということです。

 

竹内結子さんの家出の過去

 

 

竹内結子さんは、5人家族、3人姉妹の末っ子ということで、末っ子だから得られる良い面があれば悪い面だってあったと思います。

 

実は、竹内結子さんは小学校の時に一度家出をしています。

 

家出の理由がユニークというのか、不思議なのです。

 

家出なので、竹内結子さんは家を出るわけですが、なぜ家を出たのかというと「複雑な家庭環境で自分はここに居てはいけない」と感じたそうです。

 

複雑な家庭環境については下記の記事で説明しています。

 

竹内結子が語った複雑な家庭環境!結果的に子供が同じ環境になるのが辛い

 

後に竹内結子さんは家出をした時のことを次のように振り返っています。

 

  • 帰る家は暖かそうに見えるが、鍵がかかった空間のようだった
  • 父が義母と連れ子と囲んだ食卓はガラス越しに見えた
  • 自分が荷物(連れ子)だと思ってほしくなかった

 

実際はそうでなかったのかもしれません。

でも竹内結子さんは沿う感じてしまったのです。

そして、実際に家を出たのです。

しかし、家を出たものの行く宛はありません。

当然、何も持っていません。

 

すると家出をした竹内結子さんは心細くなったのか半泣き状態になります。

半泣き状態で小学生の小さな子どもが町をうろついているのですから異常な光景ですね。

 

その状況を近所の人が目撃し自宅に戻されたそうです。

 


引用元:https://xn--o9jl2cn6nnr663o6qdj1gm42h390a4le.com/yuko-takeuchi

 

 

小さい頃に「自分の居場所がないと」感じるのは、相当悲しい出来事ですね。

 

竹内結子さんの芸能界入りのキッカケ

 

竹内結子さんの芸能界デビューは15歳のときです。

 

ちょっと以外なのですが現在の財務省である当時の大蔵省のCMがデビュー作です。

 

 

芸能界デビューのきっかけはスカウトで、竹内結子さんが中学校を卒業して高校に入学する前の春休みに現在の所属事務所であるスターダストプロモーションに原宿でスカウトされたそうです。

 


引用元:http://yumeijinhensachi.com/wp-content/uploads/2016/10/ab586da6de85ac4df4f1b6e2147e9f2b.png

 

女優デビューは芸能界に入って一年後の1996年に放映されたドラマ「新・木曜の怪談 Cyborg」にて女子高生役でした。

 

女優デビュー後の竹内結子さん

 

女優デビューしたからの活動は順調で、女優デビュー3年後の1999年には朝ドラ「あすか」のヒロインに抜擢されます。

 

 

その後もドラマに主演で出演することが当たり前になり、なかでも映画「黄泉がえり」や「いま、会いにゆきます」で竹内結子さんの地位を確立したのではないでしょうか?

 

 

2005年には中村獅童さんと結婚、2008年に離婚を経験しますが、「ストロベリーナイト」での竹内結子さんは大いに注目されました。

 

まとめ

 

予想すらしていなかった竹内結子さんが亡くなられたということで、竹内結子さんの生い立ちを調べていたら「家出の過去」があったことなど、芸能界入りする前後の出身校などをお伝えしました。

 

生い立ちやテレビや映画を通して見る竹内結子さんからは強さを感じるものの、弱さについては感じることは出来ませんでした。

 

あえて、自分の外に弱みを見せないようにしていたんでしょうね。